東京高等裁判所 昭和47年(う)2258号 判決
被告人 越山正見
〔抄 録〕
原判決挙示の関係証拠によれば、被告人は遊び仲間の谷田川薫の運転する自動車に同じく仲間の石津文雄と共に同乗し、一人歩きの女性を自動車に乗せ人気のないところに連行して強姦しようと企て、適当な女性を物色して徘徊するうち、昭和四六年一一月二五日ころの午後七時四〇分ころ周辺が水田に囲まれ人家からは程遠い路上を帰宅すべく一人歩行中の女子高校生(当時一六年)を認めるや、被告人ら三名は同女を右自動車にかつぎこんで拉致したうえ強姦することを共謀し、通行の人車の絶えた頃を見計らい、自動車を同女に近付け、被告人および右石津が車から降り、いきなり石津において同女をその背後からだきかかえ、被告人において同女の両足をかかえあげ、助けを求める同女の口を石津が手でふさぎ、同女を同車両の後部左側ドアのところまでかかえてゆき、車内に押し込めようとしたところ、同女は姦淫の意図を察知し身の危険を感じて必死になって助けを求めるとともに、脚部をばたつかせ、ドアを蹴飛ばし、石津の手にかみつくなどして極力抵抗したため、被告人らも断念し、折柄車のライトが近づくのを認めたこともあってその場から逃げ去り、姦淫の目的を達するに至らなかったことが認められる。そして、右の事実関係のもとにおいては、被害者は一旦車内に押し込められてしまえば被告人らによって即時人気のない場所に拉致されて輪姦されることが必至の状況であったといわなくてはならないから、本件においては、被告人らが同女を自動車内に押し込もうとした段階において、すでに強姦に至る客観的危険性が十分に認められ、強姦の手段としての暴行が被害者に加えられたものと認めるのが相当で、単に逮捕ないし監禁のための暴行がなされたにすぎないものと目すべきではないから、強姦罪における実行の着手があったものといわなくてはならない。
(寺尾 藤野 粕谷)